東北関東大震災

11日・・びっくりしました。横揺れがひどく長くて ガスの元栓を閉めたり 玄関やベランダの逃げ口を確保してる間にTVがずり落ち液晶にヒビが・・の被害がでました。 我が家はこの程度で済んだけれど 実家が第一原発に近く強制避難です。こんな時携帯が繋がらないと・・様子が全然わからず心配しました・・が3日目に避難先の公衆電話(長蛇の列)から一分位の通話で無事を確認出来た。隣町の姪子の家は津波に遭い流されたとか・・車で無事脱出し やはり田村市の方へ分散避難出来たそうで、ホットしました・・今日の報道では姪子の近くで(浪江)900人が行方不明とか・・何とか皆さんも逃げて助かってて欲しいです。岩手、宮城の比ではないけど・原発の影に・・・津波の捜索もして欲しい。もしかすると進入禁止かな。原発はまだまだこれからどうなるのか心配が増します。先ずは汚染の検査と除染をお願いしたいです。毎日TVにくぎづけですが・・3〜4時間の停電に大騒ぎして欲しくないですね。 姉の家族も無事に避難福島競馬場の畳の個室に落ち着き元気な声も聞けて安心です。実家の避難先も船引から知り合いの家に(会津若松で貸家)に移動してやっと人間らしい生活に・(車いす者がいるので助かりました)
皆 我が家に帰れるかどうか・・放射能汚染がどうなるか気がかりです。40数年前建設反対したころが思い出されて残念でなりません。 

・・震災から2週間 まだまだ余震が(震度5以上が300回とか)続いています。地震津波放射能と3重の被害でも命が助かっただけでもありがたいと思わねば。。なりません。80才代の姉達には生きてるうちに自宅には帰れないかもしれない。セシュウム137に土壌汚染すると30年とか・・ でも避難所転々から自力で県外脱出し戸建の貸家に落ち着いたようです。姪子たちの家族も神奈川の親戚に落ち着いたようです。これで少しは落ち着いた生活が出来ることでしょう。”ゼロからの出発頑張って欲しい”

御心配いただいた皆さん有難うございました。

続● 福島県大熊町。。戦時中は二枚羽の練習飛行場でしたが・終戦後 県より払下げてもらい山林や塩田等をしていたところです。農業だけの貧しい村に東電と県が原発を誘致したのです。確かに働く場所も増え豊かになったようですが・・40年後に建設時に危惧した事件が起きてしまった。先祖伝来の田畑、山林全て失い生活の基盤がなくなりそうです。原発から3キロ 兄姉たちは生きてるうちに家には戻れそうにありません。チェルノブイリのように地図上から地名が消える・・・ようなことにならないよう祈りたい。